創部~
1877年(明治10年) | 福澤先生指示のもと、幼稚舎の長、和田義郎氏の指導にて柔術訓練開始、道場36畳 |
1881年(明治14年) | 関口流関口柔心氏師範に |
1889年(明治22年) | 講道館の四天王と称された山下義昭韶氏を師範に招聘 |
1891年(明治24年) | 旧演説館裏に道場新設(約40畳。幼稚舎道場とは別) |
1893年(明治26年) | 警視庁及び講道館より選手を招待し、柔道大会開催 |
1896年(明治29年) | 幼稚舎生塾内試合記録存在 |
1898年(明治31年) | 塾内試合記録第7回として存在 |
1900年(明治33年) | 第一高等学校柔道大会に本塾より選手派遣 |
1902年(明治35年) | 第1回京都遠征試合(対第三高等学校)
第1回早稲田大学対抗戦 |
1904年(明治37年) | 内田良平氏師範就任
綱町道場新設(119畳) |
1906年(明治39年) | 飯塚国三郎氏師範就任 |
1912年(大正元年) | 対4校戦開始(東京農業大学、日蓮宗大学、水産講習所、高等工業学校の4校連合軍と本塾との定期戦) |
1916年(大正5年) | 中野正三氏師範助手として就任 |
50周年~
1929年(昭和4年) | 昭和天皇即位祝賀全日本武道大会に塾OB、阿部英児、阿部大六、浅見浅一、山川渉の4先輩出場 |
1931年(昭和6年) | 北陸地方武者修行
(松本―永野―長岡―新潟―会津若松) |
1933年(昭和8年) | 第21回(昭和7年)を以て、対4校連合試合中止の決議
本塾の戦績:18勝2敗1引分 |
1936年(昭和11年) | 2・26事件、満州事変、日支事変が起こるが学生柔道には影響少
関西・北陸遠征 復活第3回早慶戦 |
1938年(昭和13年) | 清水正一先生を師範に迎える
第1回北米合衆国遠征 東北・北海道遠征 |
1939年(昭和14年) | 関西・九州遠征 |
1940年(昭和15年) | 昭和11年の復活第3回で中断していた早高対予科高等部戦が全早慶戦として実現(第1回早慶対抗柔道戦)
日満交歓武道大会に、本塾から赤塚、羽鳥、飛田、桑原の4名出場 関西・九州遠征 |
1941年(昭和16年) | 大東亜戦争勃発 |
1943年(昭和18年) | 医学部工学部を除き、徴兵期に当たる全員が召集される(学徒動員) |
1945年(昭和20年) | 敗戦に続き、GHQ及び文部省より学生柔道禁止の指令が出る
(慶應義塾体育会柔道部解散) |
1946年(昭和21年) | 元柔道部師範飯塚国三郎先生所有の「至剛館」を学生愛好者のために毎日解放して頂く
校外団体クラブとしての柔道クラブを結成 |
1948年(昭和23年) | 三田柔友会(岩崎清一郎会長)が至剛館を柔道クラブのために購入 |
1950年(昭和25年) | 学生柔道復活となり、柔道部は正式に体育会に復帰した |
1951年(昭和26年) | 清水正一師範の再就任
日吉、綱町の道場開き |
75周年~
1952年(昭和27年) | 講道館創立70周年記念全日本年齢別柔道選手権大会で熊切昭男3段が優勝 第1回東京都中学校柔道大会で、普通部が優勝 |
1953年(昭和28年) | 10年ぶりで早慶戦開催(第5回)、読売新聞後援 |
1954年(昭和29年) | 早慶対抗柔道戦(通算第6回目、戦後の復活第2戦)で史上初の勝利 (部長:橋本孝、師範:清水正一・朝飛速夫、監督:羽鳥輝久、主将:宮崎剛、幹事:熊切昭男(早慶戦大将)・田坂昭) |
1955年(昭和30年) | 北海道遠征(部長・師範・監督:前年と同じ、主将:堀越忠義、幹事:高松静男・吉川文雄) 早慶戦引き分け |
1956年(昭和31年) | 早慶戦で早稲田に快勝する (主将:長門英夫、幹事:飯塚国基、廣瀬久也、山際正明) |
1957年(昭和32年) | 全日本大会3位、早慶戦は4人残しで勝利 (幹事:鈴木一男・伊藤弘人・小倉英夫、主将:山際正明、主務:小野喜也、副務:野村孝司) |
1958年(昭和33年) | 慶應義塾創立100周年 柔道部:有段者100余名、部員総数300名 慶應高校の黄金時代:部員総数70名 (主将:小倉英夫、主務:稲田詢、副主務:川端孝充、幹事:竹内右宣・福田靖与・岡本信義、部内幹事:渡辺明治・豊永勝) |
1959年(昭和34年) | 台湾遠征、北海道遠征、東北遠征 (主将:渡辺明治、主務:堀内義太郎、幹事:豊永勝・阿部大助・檜山治・橋本光蔵・大矢忠史・高田幸人) 早慶戦1人残しで勝ち(前年の雪辱成る) 日吉新道場開き(日吉体育館落成) |
1960年(昭和35年) | (主将:高田幸人、主務:山口慎吉、副務:田村泰男、幹事:新原武文・南健雄・佐藤紘・廣瀬嘉嗣・清水英範・林政宏・福山浩洋) 北海道遠征 早慶戦3人残して早稲田が勝ち~以来18年間勝てず。 |
1961年(昭和36年) | (主将:福山浩洋、主務:加藤進、副主務:飯野紀夫・渡辺芳和、幹事:榊原孝至・新宮松比呂・木村寛・永秀昭・音川和三・植村剛太郎) |
1962年(昭和37年) | 柔道部員100名 (部長・監督:前年と同じ、師範:清水正一・朝飛速夫・清水直臣、主将:植村剛太郎、主務:渡辺紀久男、幹事:植村健次郎・阿部智応・瓜生長志・小林浩一・友田義輔、副主務:田北坦・川上隆三) 第11回東京学生柔道優勝大会で準決勝まで進む |
1963年(昭和38年) | 戦後初のアメリカ遠征(団長:安東喜四夫、総勢29名) (部長・師範:前年と同じ、監督:山崎高・大館三郎、主将:友田義輔、主務:山口和彦、副主将:永田武二郎、幹事:中野根二郎・佐藤靖・塚田正昭・大石陸平・林政宏、副主務:高橋重厚) |
1964年(昭和39年) | 東京オリンピック (部長・師範・監督:前年と同じ、部長:橋本孝、師範:清水正一・朝飛速夫・清水直臣、監督:山崎高・大館三郎、主将:塚田正昭、主務:稲田励、幹事:辰野幸正・清水正敬・野口和志・高橋彦二郎・峰岸保夫・片桐正路・安藤洋志、副主務:片桐滋・門野倬也・滝沢緑郎) 日吉の合宿所竣工 |
1965年(昭和40年) | 部員90名。 合宿所(舎監:南先輩)には常時20名が寝泊まり (部長・師範:前年と同じ、部長:気賀健三、師範:清水正一・朝飛速夫・清水直臣・伊藤俊一、監督:大館三郎、主将:安藤洋志、主務:滝沢緑郎、副将:野田侃生、幹事:萩巣賢二・若菜武夫・森田総典・庄司利昭・橋田紘一・堀信孝、副務:小高喜久夫・竹本真次) |
1966年(昭和41年) | (部長・師範:前年と同じ、監督:渡辺明治、主将:堀信孝、主務:竹本真次、副将:西村和悦、幹事:沢地憲一・朝倉秀樹・手島秀士郎・望月克己・大竹高・飯田祥次、副務:牛場春夫・大沢英昭) |
1967年(昭和42年) | 台湾遠征(団長:守谷一郎先輩) (部長・監督:前年と同じ、師範:清水正一・朝飛速夫・清水直臣、主将:大竹高、副将:関郁夫、主務:大沢英昭、幹事:金杉浩・飯田祥次・田中明男・稲石謙一・河上龍雄・芳賀孝穂) |
1968年(昭和43年) | 6年ぶりに全日本学生大会に出場 (部長・師範・監督:前年と同じ、主将:河上龍雄、副将:芳賀孝穂、主務:内海勝彦、幹事:近藤正士・渡辺弘二・平川道隆・行本公二・宮本圭一・稲波唯弘) 中野師範80才記念祝賀会(銀座交詢社) 北陸遠征 |
1969年(昭和44年) | 朝飛師範逝去 (部長:前年と同じ、師範:清水正一・佐藤毅・清水直臣、監督:阿部大助、主将:稲波唯弘、副将:宮本圭一、主務:稲田新、幹事:岡田勗・田村信雄・松葉直彦・瀬戸口昌宏・古屋敏郎) 東北・北海道遠征 |
1970年(昭和45年) | (部長・師範:前年と同じ、監督:友田義輔、主将:古屋敏郎、副将:塚本広道(龍野廣道)、主務:熊谷喜隆、幹事:進藤大二・検見崎栄・鈴木重利・羽鳥順・桜田裕) 四国地方遠征 |
1971年(昭和46年) | 名古屋・関西遠征 (主将:桜田裕、副将:岡田雅博、主務:西島良信、幹事:藤原芳隆・稲留秀明・山田公平・小林正典) |
1972年(昭和47年) | アメリカ遠征 (主将:山田公平、主務:近藤幸男、副将:小林正典、幹事:山本恵・大城朝幸・浜田喜重、副務:金谷重信) |
1973年(昭和48年) | 部員総数25名(内4年生3名) (主将:浜田喜重、主務:金谷重信、副将:沢原俊英、幹事:若宮茂二・前田雄弐) |
1974年(昭和49年) | 台湾遠征 6年ぶりに全日本学生大会に出場、その後7年間一部校を維持 (師範・監督:前年と同じ、部長:石川忠雄、主将:若宮茂二、主務:高桑君昌、副将:前田雄弐、幹事:足立和美・高田信哉・伊藤哲也・野見山洋朗・浅井幸広、副務:對馬好一) |
1975年(昭和50年) | (部長:前年と同じ、師範:清水正一・清水直臣・橋本昇・青木豊次、総監督:山際正明、監督:友田義輔、主将:伊藤哲也、主務:對馬好一、副将:浅井幸広、幹事:野見山洋朗・渡辺賀二・松永幹夫・植村一郎・慶田金信、副務:田中辰己) |
1976年(昭和51年) | (部長:前年と同じ、総監督:山際正明部長、監督:前年と同じ、総監督:山際正明、師範:清水正一・清水直臣・橋本昇・青木豊次・安藤勝英、主将:黒部篤志、主務:田中辰己、副将:山本秀夫、幹事:木村康治・加藤義康・金子正志・岩崎保夫・田中茂樹、副務:伊藤定史) |
100周年~
1978年(昭和53年) |
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1月21日 |
柔道部創立百周年記念式典及び祝賀会を交詢社で挙行 |
10月10日 | 第30回早慶対抗柔道戦で、慶應が19年振りの優勝 (20選手の勝ち抜き戦で5人残し) |
1983年(昭和58年) |
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3月10日~19日 |
柔道部初の東南アジア遠征 シンガポール・タイ・台湾 |
10月1日 | 柔道部長 法学部 阪埜光男教授 法学部長に就任 |
1984年(昭和59年) |
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1月15日 |
杉浦潤 先輩 寒稽古連続30年皆勤 |
1985年(昭和60年) |
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1月13日 |
清水 正一 名誉師範に国際柔道連盟(IJF)より十段位授与 |
8月 | 四国遠征 |
10月20日 | 警視庁武道館で行われた第28回東京学生柔道2部優勝大会にて慶應が4年ぶりの優勝 |
1986年(昭和61年) |
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8月 |
中華自強柔道隊来日 塾と交流試合、合宿 |
11月17日~24日 | 台湾遠征 台湾選抜などと交流試合 |
1988年(昭和63年) |
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4月2日 |
黒田富夫先生慰労の会を帝国ホテルで開催 |
10月27日 | 清水正一名誉師範の喜寿を祝う会開催(於ホテル高輪) |
1989年(平成元年) |
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1月15日 |
成毛秀臣先輩寒稽古精勤50年 |
7月25日 | 清水正一名誉師範逝去 |
1991年(平成3年) |
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1月15日 | 旧綱町道場最後の寒稽古 |
6月17日 | 笠原慶太郎先輩逝去 |
7月7日 | 「明治から平成までありがとう三田綱町道場」の集い開催 |
1992年(平成4年) |
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3月30日 |
石川忠雄塾長が学柔連会長に就任 |
6月3日 | 清水直臣師範 退任。朝飛大先生が師範就任 |
12月 | 綱町武道館完成 |
1993年(平成5年) |
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1月 |
綱町武道館の新道場にて初の寒稽古 |
8月 | アメリカ・サンノゼ遠征 |
1995年(平成7年) |
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7月15日 |
松本市で清水正一先生の記念碑除幕式 |
7月18日 | 石川忠雄先生の春の叙勲(勲一等旭日大綬賞)に伴う祝賀会を柔友会で主催 |
1997年(平成9年) |
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1月28日 |
羽鳥輝久先輩逝去 |
9月 | アメリカ遠征(アメリカ西海岸) |
12月14日 | 第1回綱町柔道祭を開催(以降、毎年恒例化) |
1999年(平成11年) |
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3月 |
第1回ネパール国際学生親善柔道大会に6名参加、優勝等上位入賞 |
5月29日 | 第1回慶應杯開催(以降、毎年恒例化) |
2000年(平成12年) |
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1月16日 |
成毛秀臣先輩寒稽古華甲皆勤賞(61年間皆勤) |
2001年(平成13年) |
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2月 |
アメリカ遠征(アメリカ東海岸) |
11月18日 | 第22回全国女子柔道体重別選手権大会 高野舞ベスト8 堀内義太郎先輩逝去 堀内義太郎基金設立 |
125周年~
2002年(平成14) |
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4月13日 |
柔道部創立125周年記念式典を挙行 |
6月 | 第21回全日本学生柔道体重別選手権大会 前田壮象ベスト16 |
2004年(平成16) |
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2月19~3月1日 |
アメリカ遠征(アメリカ西海岸) |
2005年(平成17) |
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6月26日 |
第46回全日本理工科学生柔道優勝大会に当部理工学部生で出場、優勝 |
2006年(平成18) |
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5月28日 |
第55回東京学生柔道優勝大会にて26年ぶりに全日本学生出場権獲得 |
6月24日 | 第55回全日本学生柔道優勝大会出場 |
2007年(平成19) |
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6月23日 |
第56回全日本学生柔道優勝大会出場 |
9月5~16日 | アメリカ研修(アメリカ東海岸) |
9月25日 | 元柔道部長、元塾長石川忠雄先生逝去 |
2008年(平成20) |
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3月 |
関西遠征実施 |
3月11日 | 第1回慶應・甲南柔道対抗戦 |
3月29日 | 旧合宿所「さようなら合宿所・ありがとうの鍋会」開催 |
5月25日 | 第57回東京学生柔道優勝大会にて28年ぶりに1部復帰 |
6月28日 | 第57回全日本学生柔道優勝大会出場 |
9月14日 | 第40回全日本ジュニア柔道体重別選手権大会 90kg級小倉大樹ベスト8 |
10月12日 | 第26回全日本柔道体重別選手権大会 90kg級小倉大樹 100kg級久保田誠が出場 |
10月16日 | 合宿所「六徳舎」竣工式 |
10月19日 | 第12回柔道祭(於日吉柔道場)・六徳舎お披露目会 開催 |
11月23日 | 第60回早慶対抗柔道戦にて29年ぶりに優勝 (点取戦) |
2009年(平成21) |
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6月29日 |
第50回全日本理工科学生柔道優勝大会に当部理工学部生で出場、優勝 |
10月11日 | 第27回全日本学生柔道体重別選手権大会 73kg級伊藤亮彦が出場 |
2010年(平成22) |
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3月 |
関西・四国遠征実施 |
6月26日 | 第59回全日本学生柔道優勝大会出場 |
7月10日 | 2010年韓国ジュニア国際柔道大会 100kg超級藤井岳3位 |
8月14日 | 2010年ドイツジュニア国際大会(ベルリン) 100kg超級藤井岳優勝 |
9月21日 | 平成22年度全日本ジュニア体重別選手権大会 100kg超級藤井岳3位 |
10月10日 | 第29回全日本学生柔道体重別選手権大会 90kg級小倉大樹が出場 |
10月21日 | 2010年世界ジュニア柔道選手権大会 100kg超級藤井岳が出場 |
11月14日 | 第62回早慶対抗柔道戦(点取戦)にて2年ぶりに優勝 |
11月21日 | 平成22年度講道館杯全日本柔道体重別選手権大会 100kg超級藤井岳が出場 |
11月28日 | 第53回東京学生柔道二部優勝大会にて2年ぶり優勝 |
2011年(平成23) |
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3月20日 |
第33回全国高等学校柔道選手権大会 高等学校90kg郡司拳佑が出場(東日本大震災により中止) |
6月24日 | 第60回全日本学生柔道優勝大会出場 |
7月21日 | 平成23年度金鷲旗高校柔道大会 高等学校ベスト16 |
8月9日 | 平成23年度全国高等学校総合体育大会 高等学校90kg郡司拳佑準優勝 100kg後藤隆太郎が出場 |
9月 | ヨーロッパ研修(ドイツ・フランス)実施 |
9月10日 | 平成23年度全日本ジュニア体重別選手権大会 90kg級郡司拳佑・48kg富岡愛実が出場 |
10月2日 | 第66回国体少年男子の部 神奈川県優勝(高等学校 中堅郡司拳佑 副将後藤隆太郎) |
10月8日 | 第30回全日本学生体重別選手権大会 90kg級小倉大樹ベスト16 100kg超級藤井岳ベスト8 |
10月29日 | 第13回全日本学生柔道体重別団体優勝大会に初出場 |
11月12日 | 平成23年度講道館杯全日本柔道体重別選手権大会 100kg超級藤井岳ベスト8 |
11月20日 | 第63回早慶対抗柔道戦(勝抜戦)両校優勝 |
2012年(平成24) |
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5月29日 |
第61回東京学生柔道優勝大会にて4年ぶりに1部復帰 |
6月23日 | 第61回全日本学生柔道優勝大会(男子)ベスト16 第21回全日本学生柔道優勝大会(女子3人制)出場 |
8月4日 | 平成24年度全国高等学校総合体育大会 高等学校60kg西村康佑が出場 100kg超級後藤隆太郎3位 |
9月30日 | 第31回全日本学生柔道体重別選手権大会 90kg級郡司拳佑ベスト16 100kg超級藤井岳ベスト16 |
10月27日 | 第14回全日本学生柔道体重別団体優勝大会出場 |
11月11日 | 平成24年度講道館杯全日本柔道体重別選手権大会 100kg超級藤井岳ベスト8 |
11月18日 | 第64回早慶対抗柔道戦(点取戦)優勝 |
2013年(平成25) |
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3月10日 |
第9回KOBE自他共栄CUP優勝 |
6月22日 | 第62回全日本学生柔道優勝大会ベスト16 |
7月9日 | 朝飛大師範に特選塾員授与 |
9月8日 | 平成25年度全日本ジュニア柔道体重別選手権大会 100kg級後藤隆太郎準優勝 |
10月17日 | 第65回早慶対抗柔道戦(勝抜戦)にて優勝(4人残し 勝抜戦として34年ぶり) |
11月2日 | 第15回全日本学生柔道体重別団体優勝大会ベスト16 |
11月10日 | 平成25年度講道館杯全日本柔道体重別選手権大会 100kg級後藤隆太郎ベスト8 100kg超級藤井岳ベスト8 |
12月12日 | 2013年アジアジュニア・ユース選手権大会(於:中国・海南島) 100kg級後藤隆太郎優勝 |
2014年(平成26) |
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2月22日 |
第7回慶應・甲南柔道対抗戦にて初優勝 |
4月19日 | 2014年ロシアジュニア国際柔道大会 100kg級後藤隆太郎準優勝 |
5月25日 | 第25回東京学生柔道優勝大会(女子3人制)準優勝 |
6月28日 | 第63回全日本学生柔道優勝大会(男子)出場 第23回全日本学生柔道優勝大会(女子3人制)出場 |
9月14日 | 平成26年度全日本ジュニア柔道体重別選手権大会 100kg級後藤隆太郎出準優勝 |
10月12日 | 第66回早慶対抗柔道戦 講道館での開催は33年ぶり |