125th Anniversary 三田柔友会 三田柔友会


慶應義塾體育會柔道部について
部長ご挨拶

柔道部創立125周年を迎えて

部長(法学部教授)森 征一

 柔道部は本年をもって創部125周年を迎えることとなりましたが、慶應義塾における柔道は、明治10年の春、福澤諭吉先生のお声がかりで、幼稚舎長の和田義郎氏の指導により、三田山上において開始されました。

 「独立自尊」が慶應義塾の基本的な精神であることはいうまでもないことではありますが、福澤先生のこのお考えは、まさに現代の社会が理想とし、世界を担う若者たちに期待している人間像であると思います。慶應義塾において育成しようとした、この「独立自尊の人」の理想を、福澤先生は、智育、徳育、体育のバランスにあるとされ、その上で、先生は、「先ず獣身を成して後に人心を養う」と主張され、体育を智育・徳育と共に教育の両輪として奨励されました。明治26年5月に慶應義塾体育会を創設し、その会長に次男の捨次郎氏を推したのも、福澤先生が体育を重視されたことのあらわれでありましょう。 福澤先生が体育の中でも柔道をとくに奨励されまのは、先生の言葉を借りますと、柔道が「少年の衛生には申分なき運動、その効あるいは体操よりも利あらんかと思ふ」と考えられたからのようです。

 柔道部の開祖ともいうべき和田舎長は、いま柔道部の座右の銘となっている「心身の順うはこれ柔道」という、福澤先生が柔道部のために色紙に書かれた趣意を受けて柔道を教えられ、柔道による健全な心身の育成に努められました。西洋流の体育を積極的に奨励されたといわれる福澤先生が、柔道をとくに優れていると考えられたのは、「礼に始まり礼に終わる」柔道が精神教育の側面をも有していたからだと思われます。

 一方で、福澤先生も、体育会創設を承けてその年の10月に開催された「塾の柔術発会」に時事新報を休んで出席されたり、また、明治29年頃は「毎晩、令孫中村壮吉君を連れ、稽古を看に来られた」ほど、柔道に力を入れておられたようです。

 柔道部は「先ず獣身を成して後に人心を養う」と「心身の順うはこれ柔道」という福澤先生のこの二つの言葉を好み、これを慶應柔道の指針として発展してきました。福澤先生のこのようなお考えの上に立って、慶應柔道は勝敗のみを目指すのではなく、道を求めることを目的としてきたのです。勝つためだけの柔道をやると、試合後にその人には何も残らないからです。自分の目指す柔の道を見据えながら、一途に厳しい稽古を重ねる中で心身が鍛錬され、その先に道が見えてくる--道とは人の生き方のことです。自分の生き方を見つけだすことができたときに、揺るぎのない自信を手にすることができるのです。それゆえ、慶應の柔道家はまさに求道者というべきでしょう。柔道部の部員は、長きにわたって、この道を極めようと努めてきましたが、その歴史が、慶應柔道部の伝統なのです。いま、改めて、先人が築き上げた三田柔道の伝統を受け継ぐ決意をもつべきではないでしょうか。