写真で追う歴史 | 創部~50周年 | 50周年~75周年 | 75周年~100周年 | 100周年~125周年 | 年代不明 | 風景 | 明治28年時代の部員諸氏 明治三十一年卒業生送別記念 明治三十八年時代の有段者 大正十二年卒業生と当時の有段者 昭和六年飯塚中野両師範勤続祝賀 創部~50周年 和田義郎先生:幼稚舎初代の舎長、紀州和歌山藩の人、武芸に長じ、関口流柔術の達人、舎生の体育に柔術稽古が行われ、塾柔道部の創始を開いた 明治25年7月2日、旧関口流を学びし柔術生22名、和田義郎先生の尊影を掲げる 明治28年、福澤先生と柔道部員 明治31年、福澤先生を中心に浜野部長、山下師範と当時の部員 明治34年2月、有段者卒業生送別記念写真、(2列目中央袴姿は、師範の飯塚国三郎先生) 明治35年、第1回対早稲田大学柔道試合(早慶混合懇親試合) 明治36年、第2回対早稲田大学柔道試合優勝 明治36年、卒業生送別大会記念 明治38年時代の有段者 明治39年、卒業生送別集合写真 明治40年、当時の学生柔道界を二分した慶帝対抗戦 大正3年、卒業生送別集合写真 大正6年、第3回関西遠征勝利記念 大正8年、第4回関西遠征集合写真 大正12年、当時の有段者 大正14年、関西遠征(大阪武徳殿) ▲ページの先頭へ 50周年~75周年 昭和3年、第1回早稲田高等学院対慶應予科高等部戦、優勝 昭和4年5月4-5日、御大典祝賀武道大会(昭和天覧試合)、阿部英児、阿部大六、浅見朝一、山川渉の4名が選ばれ出場、活躍 昭和4年5月5日、御大典祝賀武道大会(昭和天覧試合)、“天覧の光栄を浴したる選士諸君”前列右端が阿部英児先輩 昭和4年5月5日、御大典祝賀武道大会(昭和天覧試合)、指定選士準決勝試合左側が阿部英児先輩、右側が栗原民雄氏 昭和6年、飯塚中野両師範勤続祝賀 昭和7年5月9日、慶応義塾創立75周年記念式当日 鎌田榮吉塾長揮毫「慶応義塾柔道部の記」 昭和11年、卒業生送別大会記念 昭和12年、日吉蝮谷の旧柔道場にて合宿 昭和12年、日吉蝮谷の旧柔道場にて合宿 昭和12年、日吉蝮谷の旧柔道場は漏電により焼失 昭和13年6月~9月、第1回北米合衆国遠征。国技としての柔道を紹介し、柔道を通じて義塾と米国諸大学と交歓し、両国親善の一助となさんとの目的の下に北米合衆国へ選手を派遣する 昭和13年6月~9月、第1回北米合衆国遠征。国技としての柔道を紹介し、柔道を通じて義塾と米国諸大学と交歓し、両国親善の一助となさんとの目的の下に北米合衆国へ選手を派遣する 昭和13年6月~9月、第1回北米合衆国遠征。船上での演武会。 昭和14年、卒業生送別大会記念 昭和15年3月30日、誓約「全早慶柔道試合誓約」、選手20名補欠5名の紅白試合、11月第1土曜日又は第2土曜日午後6時より、向こう10年間之を厳守す 昭和15年、慶應予科高等部柔道部予科会 昭和16年、野田の茂木邸にて新入生歓迎会 昭和16年、学部と予科高等部の合同稽古後、日吉蝮谷道場前で。当時は隔週の土曜日に三田と日吉の合同稽古を交互に実施した。前列左から3人目が主将の石渡顕一先輩 昭和16年、日吉道場前で 昭和16年11月、早慶対抗戦合宿の合間、芋焼の記念に。帽子は横井先輩、右から石渡先輩、奥住先輩、羽鳥先輩(日吉にて) 昭和16年、第2回早慶対抗柔道戦(於講道館) 昭和16年後期、卒業生送別大会記念 昭和17年6月、早慶対抗戦合宿、憩いのひと時(日吉柔道場前) 昭和17年6月、早慶対抗戦合宿、憩いのひと時(日吉柔道場前) 昭和17年6月、早慶対抗戦合宿、集合写真(日吉柔道場前) “昭和17年6月20日、第3回早慶対抗柔道戦、九段の軍人会館(現九段会館)に観衆2,000名を動員し開催” 昭和17年、慶應予科高等部柔道部送別会で空のビールジョッキと 昭和18年、野田春風館合宿(中野栄三郎氏を中心に) 昭和18年5月30日、第4回全早慶柔道試合 昭和18年秋、学部2年生3年生はほとんどが軍隊に入隊せざるを得なくなり、柔道部からも10名が学窓を離れることになった。出陣を記念して3師範と共に写す。前列右より小坂先輩、磯辺先輩、中野正三師範、飯塚国三郎師範、清水正一師範、渡辺助手、横田先輩、杉山先輩、後列右より大館先輩、吉川先輩、上條先輩、石渡英二先輩、山内先輩、加藤先輩、吉田先輩 国民服を着た集合写真。戦時中と思われる。 昭和23年、講道館が初めて外国人向けに発行した柔道手引書「What is Judo?」。水谷英男先輩(昭和22年卒)が技指導の被写体 昭和24年、信州松本の滴水館道場(清水正一館長)にて、終戦後初の夏期遠征合宿 昭和24年5月5日、戦後第1回の全日本柔道大会準決勝戦で木村政彦六段と対戦する羽鳥輝久先輩(於両国国技館) 昭和24年又は25年、全日本三地区対抗戦(関東・関西・九州)で九州代表の神屋六段を体落しで投げ勝利した水谷英男先輩。翌朝報知新聞一面を飾った。 昭和25年、学生柔道禁止中、至剛館道場玄関にて 昭和25年、毎日新聞記事「慶大で道場開き」。 昭和26年2月25日、学生柔道復活記念撮影、綱町道場開き 昭和26年7月、実技指導後日吉道場の師範室にて 昭和26年7月、日吉道場での稽古風景 ▲ページの先頭へ 75周年~100周年 昭和27年11月23日、講道館創立70周年記念全日本年齢別柔道選手権大会A組(20歳未満)にて熊切昭男先輩(前列右:昭和30年卒)が優勝。 昭和27年11月25日、講道館創立70周年記念全日本年齢別柔道選手権大会A組(20歳未満)にて熊切昭男先輩)が優勝。(日刊スポーツ記事) 昭和27年11月8日、東西学生柔道対抗試合(於、大阪灘波球場)に成毛雅臣先輩(昭和26年卒)、熊切昭男先輩(昭和30年卒)、宮崎剛先輩(昭和30年卒)、福田満先輩(昭和29年卒)出場 昭和27年秋、第1回東京都中学校対抗柔道大会優勝後列左から、昭和35年卒渡辺明治先輩、豊永勝先輩、佐々木真一郎先輩、檜山洽先輩前列左から、阿部大助先輩、橋本光蔵先輩、早川鉄三先輩 昭和29年11月28日、旧講道館、第6回早慶柔道対抗戦初優勝。開会式 昭和29年11月28日、旧講道館、第6回早慶柔道対抗戦初優勝。大将戦で熊切昭男選手が早稲田石井選手に小内刈りで技ありを取り、そのまま押さえんとするも、時間切れで優勢勝ち。 昭和29年11月28日、旧講道館、第6回早慶柔道対抗戦初優勝。大将戦で熊切昭男選手が早稲田石井選手に勝利し初優勝を決める。 昭和29年11月28日、旧講道館、第6回早慶柔道対抗戦初優勝。 昭和33年11月9日、全日本学生柔道選手権大会。阿部大助先輩(右端:昭和35年卒) 第3位。 昭和34年8月、戦後初の海外遠征で台湾へ。全勝を飾る。台中にて 昭和34年8月、戦後初の海外遠征で台湾へ。全勝を飾る。台中にて 昭和34年8月、戦後初の海外遠征で台湾へ。全勝を飾る。台北にて 昭和36年、全日本柔道選手権大会に植村剛太郎先輩(昭和38年卒)出場、左大内刈りで相手の甲斐5段を攻める。(東京体育会にて) アメリカ中西部大会(デトロイト・オープン)にて福田靖與先輩(昭和34年卒)がパンアメリカチャンピオンを下し、優勝(昭和36年夏) 昭和38年、春戦後初のアメリカ遠征を実施(安東喜四夫団長、全慶應遣米柔道使節団)。 昭和38年春、戦後初のアメリカ遠征を実施(安東喜四夫団長、全慶應遣米柔道使節団)。 昭和38年春、戦後初のアメリカ遠征の選手紹介 昭和38年3月、戦後初のアメリカ遠征、シカゴにて記念撮影阿部大助先輩(昭和35年卒) 故清水正一師範 山際正明先輩(昭和33年卒)植村健次郎先輩(昭和38年卒)、太田浩典先輩(昭和38年卒)、 山口和彦先輩 (昭和39年卒) 昭和38年3月15日付米国新聞「The Fresno Bee」記事慶應義塾大学柔道チームが日本から到着上から阿部大助先輩(昭和35年卒)、植村健次郎先輩(昭和38年卒)、阿部智応先輩(昭和38年卒)、植村剛太郎先輩(昭和38年卒)、山際正明先輩(昭和33年卒) 昭和38年春、戦後初のアメリカ遠征、Fresnoにて 昭和38年4月14日、戦後初のアメリカ遠征、最終訪問地ハワイのホノルルで記念撮影 昭和38年、四国遠征で阿波踊りに参加 昭和39年5月1-2日、第12回全米柔道選手権にて、植村剛太郎先輩が200ポンド以上級優勝、植村健次郎が200ポンド未満級優勝。 昭和39年5月1~2日、第12回全米柔道選手権にて、植村剛太郎先輩がグランドチャンピオン戦優勝(全階級制覇) 昭和39年、日吉高、志木高の長野遠征を引率する清水正一師範と朝飛速夫師範 日吉高、志木高の長野遠征。前列中央は、清水正一師範と朝飛速夫師範 昭和39年7月5日、日吉合宿所第1期合宿記念 昭和40年4月23-24日、第13回全米柔道選手権にて、友田義輔先輩が180ポンド未満級で優勝。 昭和40年4月23-24日、第13回全米柔道選手権にて、友田義輔先輩が180ポンド未満級で優勝。 昭和40年10月17日、第17回早慶対抗柔道戦当日の朝、築2年の合宿所前での記念撮影 昭和41年11月、カンボジアで開催されたアジア新興国競技大会(GANEFO)に参加 昭和42年7月、台湾遠征 昭和42年7月、台湾遠征。慶應大学柔道部守谷一郎氏ら24名の歓迎のための看板 昭和42年7月27日、台湾遠征 昭和43年6月15日、6年ぶりに第17回全日本学生柔道優勝大会に出場(於日本武道館) 昭和47年2月、第3回アメリカ遠征 出陣式当時の佐藤塾長、気賀柔道部長と一緒に 昭和47年3月、第3回アメリカ遠征 対サンノゼ大学戦 昭和47年、東京学生柔道優勝大会軽中量級73kg級で山田公平先輩(昭和48年卒)が準優勝。決勝戦で山田先輩が東海大五反田選手に対して、下から三角絞めをしかける。 昭和49年3月、第3回台湾遠征 出陣式。当時の久野塾長、気賀柔道部長と一緒に 昭和49年6月、6年ぶりに全日本学生柔道優勝大会出場、対同志社大学戦(於日本武道館) 昭和49年6月、6年ぶりに全日本学生柔道優勝大会出場、金沢工業大学戦次鋒伊藤哲也先輩(於日本武道館) 昭和49年10月10日朝、日吉合宿所の前で、早慶対抗柔道戦出陣 昭和50年5月25日、第25回東京学生柔道優勝大会入場式(於日本武道館) 昭和51年、四国遠征、船上にて 昭和52年、第26回全日本柔道優勝大会出場 ▲ページの先頭へ 100周年~125周年 昭和53年1月21日、柔道部創立100周年記念式典及び祝賀会を挙行(三田柔友会会員)。(銀座交詢社にて) 昭和53年1月21日、柔道部創立100周年記念式典及び祝賀会を挙行(三田柔友会会員)。(銀座交詢社にて) 昭和53年、第30回早慶対抗柔道戦で、5人残しの大勝、19年ぶりの勝利。 昭和53年、アメリカ遠征、5試合連続勝利 昭和53年、アメリカ遠征、高木先輩対サンノゼ大学Nakasone選手 昭和53年、アメリカ遠征、ケントリッジ高校でのデモンストレーション「極めの型」 アメリカ遠征、高校で女子高校生にバースデーケーキを贈られる近藤啓一郎先輩 昭和53年11月23日、合宿所の大掃除風景、下級生がごみを燃やす為の大きな穴を掘っているところ、顔が見えなくなるまで掘り進む 昭和53年11月23日、合宿所の大掃除風景、下級生が燃えるごみの上を飛び越える 昭和54年、第28回全日本学生柔道優勝大会ベスト16。 昭和54年、第31回早慶対抗柔道戦で、9人残しの大勝で連勝。 昭和54年、第31回早慶対抗柔道戦で、9人残しの大勝で連勝。 昭和54年、第31回全日本学生柔道体重別大会に羽鳥信先輩(昭和55年卒)出場 昭和56年度寒稽古記念写真 昭和56年、第24回東京学生選抜柔道(二部)優勝大会優勝 昭和58年、初の東南アジア遠征(シンガポール・タイ・台湾)、タイのJapanese Association Schoolにて小学生に柔道を指導 昭和58年、初の東南アジア遠征、タイにて 昭和60年、第28回東京学生二部優勝大会にて4年ぶりに優勝 昭和60年、第37回早慶対抗柔道戦当日の朝、必勝祈願で駒林神社詣で 昭和60年2月17日、朝飛大先生を励ます会(於横浜華正楼) 昭和61年11月18日、台湾遠征、台中の議事堂にて記念撮影 昭和62年、第30回東京学生柔道二部大会で優勝 昭和62年、オックスフォード大学の招聘によりイギリス学生柔道30周年記念合宿に参加 昭和63年、第7回全日本学生柔道体重別選手権大会-71kg級に石本千明選手出場 昭和63年4月2日、黒田富夫先生慰労の会を東京三田倶楽部で開催 第37回日本学生柔道連盟統一記念大会出場(パンフレット) 平成3年6月27日読売新聞「さらば『慶應柔道の殿堂、87年…1万人が汗』 平成3年、ありがとう三田綱町道場の集い、記念写真。 平成4年4月1、日産経新聞『人…日本学生柔道連盟会長に選出された石川忠雄さん』 平成4年12月、綱町武道館完成 平成4年度寒稽古(綱街武道館での初寒稽古) 平成5年3月21日、三田綱町柔道場竣工記念式典(柔道部創立115年記念) アメリカ・サンノゼ遠征、金門橋をバックに記念撮影 平成9年9月9日、アメリカ遠征(西海岸)、野口宏水団長(昭和33年卒)、引率は朝飛大師範、清水正敬監督(昭和40年卒)。岡野功先生ご夫妻が成田までお見送りに来て下さる。 平成10年10月18日、第50回早慶対抗柔道戦(於早大道場) 平成11年3月25日、第1回ネパール国際学生親善柔道大会、塾柔道部員と剣道の演舞のため参加された橋本龍太郎元首相とスルティ王女との記念写真。西森千景選手(平成13年卒)優勝 平成12年1月16日朝、綱町道場、成毛秀臣先輩の寒稽古華甲皆勤賞(61年皆勤)を当時の鳥居塾長が表彰。 平成12年1月16日朝、綱町道場での寒稽古風景、OBが幼稚舎生に帯の結び方を指導 平成12年1月16日朝、綱町道場での寒稽古風景、OBが幼稚舎生に帯の結び方を指導 平成13年9月7日、第50回四季の会(年代横断のOB会)石川忠雄先生を囲んで 平成13年10月、第53回早慶対抗柔道戦にて前田壮象選手が慶應最多の7人抜き 平成14年4月13日、柔道部創立125周年記念式典にて石川学事顧問揮毫の「慶應義塾體育會柔道部創立125周年にあたって」を披露 平成14年4月13日、柔道部創立125周年記念式典を三田キャンパスで挙行。 平成14年4月13日、柔道部創立125周年記念式典を三田キャンパスで挙行。渡辺明治会長挨拶 平成14年4月13日、柔道部創立125周年記念祝賀会を三田キャンパスで挙行 平成14年、全日本学生柔道体重別選手権にて前田壮象選手が-90kg級でベスト16 平成15年2月21日、アメリカ遠征、スタンフォード大学柔道部と合同稽古 平成16年10月31日、第56回早慶対抗柔道選(於慶應義塾大学柔道場) 平成17年6月26日、第46回全国理工科学生柔道大会優勝(於講道館) 平成17年、第7回慶應杯争奪柔道大会、開会式選手宣誓 平成17年1月9日、寒稽古風景 平成17年1月10日、寒稽古汁粉会風景 成毛秀臣先輩(昭和24年卒)、成毛韶夫先輩(昭和33年卒)の連続皆勤賞の表彰 平成17年度柔道祭風景 平成18年6月24日、第55回全国学生柔道優勝大会に26年ぶりに出場。(日本武道館) 平成19年6月23日 第56回全日本学生柔道優勝大会出場 平成19年9月5日~16日 アメリカ研修(アメリカ東海岸) 平成19年12月16日第49回東京学生柔道二部優勝大会準優勝 平成19年3月29日 旧合宿所「さようなら合宿所・ありがとうの鍋会」開催 平成20年9月25日 元柔道部長、元塾長石川忠雄先生逝去10月21日第11回綱町柔道祭にて石川先生を偲ぶ写真コーナーを設置 平成20年10月21日、第11回綱町柔道祭にて小川直也先生を招いて体落とし講習会を実施 平成20年5月25日、第57回東京学生柔道優勝大会にて久保田主将が28年ぶりの1部復帰を決めた瞬間 平成20年5月25日、第57回東京学生柔道優勝大会にて28年ぶりに1部復帰。 平成20年10月16日、新合宿所「六徳舎」竣工、19日お披露目会にて「六徳舎」の看板を受け取り、決意表明をする久保田主将 平成20年11月23日、第60回早慶対抗柔道戦で29年ぶりに優勝。ご声援いただいた皆さんへの優勝報告 平成20年11月23日、第60回早慶対抗柔道戦で29年ぶりに優勝。 ▲ページの先頭へ 年代不明 大正期と思われる海水浴の写真 大正期と思われる軍服姿 明治37年綱町道場が新設された当時の記念写真と思われる 塾長の「訓示」が壁に貼られた某所での記念撮影 三田道場にて扁額「武勇」を中心とした集合写真(袴の学生多数)、(大正期?) 旧綱町道場から早慶対抗戦へ出陣(戦前) 旧講道館での早慶対抗柔道試合記念撮影(戦前) ▲ページの先頭へ 風景 塾長訓示「一、心志を剛強にし、容儀を端正にせよ。一、師友に対して禮あれ。一、教室の神聖と校庭の清浄を護れ。一、途に老幼婦女に遜れ。善を行うに勇なれ。」 福澤先生直筆遺訓『心身之順是柔道』。心の修養と身体の鍛錬とのバランスのとれた柔道こそ、塾の柔道であるとの訓え 明治39年、東郷平八郎元帥揮毫の「武勇」の扁額を道場に掲ぐ 旧綱町道場(外観) 旧綱町道場(内部) 旧綱町道場の師範室 旧綱町道場の風呂場 旧綱町道場の名札、火鉢、拍子木 旧綱町道場の床下に埋められていた、尚武の甕 ▲ページの先頭へ