郡司です。

まず先日の早慶戦に於きましては、先輩方に多大なご声援を頂いたにも拘わらず、結果で応えることが出来なく非常に悔しい思いと申し訳ない気持ちで一杯です。
今週末には尼崎で全日本体重別団体がありますので、必ず我々の最終目標であるベスト8を目指して戦い抜き、引退への晴れ舞台としたいと思います。

この部員日誌が本格的に始まったのは僕がまだ1年生の時であった。当時から口下手な僕にとって、日誌は自分の想いや気持ちを表現できる場であり、OBの先輩方にもその内容で褒めて頂く機会にもなった非常に思い入れのあるツールとなっていた。
その場が今回で最後になるのはとても感慨深く寂しい気もするが、最後に相応しい日誌にしようと思う。
尽きましては少々長くなると思いますが、何卒ご了承下さい。

思い返せば中学時代、全国大会にさえ出場できなかった僕に思いがけない話が舞い込んできた。関東大会の会場で朝飛先生と鏑木先生が僕の前に立ち、「慶應義塾で全国を狙ってみないか?今年のメンバーなら十分狙えるし、高校大学の7年計画で強化しようと思っている!」という話を頂いた。
正直、慶應柔道部の存在さえ聞いた事が無かったので、全国を本気で狙えるのかは甚だ疑問であった。
しかし僕は悩みながらも文武両道を決意し、高校から名門・慶應義塾に足を踏み入れた。通学では地元茨城県から片道2時間を掛けて鏑木先生の元で柔道をする生活が始まった。
その毎日の練習は想像以上に過酷で、並行して襲い掛かるテスト勉強の苦しみと共に体力的にも精神的にも辛い時期であった。しかしその厳しい練習環境に耐える事で学年を重ねるごとに結果が出始め、自分達が少しずつ全国を狙えるレベルに来ている事に喜びを感じた。
県大会では慶應があの桐蔭学園に勝つかも知れないという噂で、決勝戦よりも人が集まった事もあった。(さすがに天下の桐蔭、やはり簡単には勝たせてもらえなかったが…)
ただ最終的には金鷲旗でベスト16に入ったり、関東大会で恩師の母校である足立学園に勝つ事で恩返しを成し遂げるなど、当初は雲の上の存在であった全国的な各強豪校の仲間入りをする事が出来た。何より我々の代が主力となりそこまでの位置に辿りつけたのは本当に嬉しかった。

その後、慶應義塾大学に無事入学し慶應義塾體育會柔道部に所属することになった。
高校時代に、過酷な練習と恩師鏑木先生のお陰でたまたま出せた実績により、周囲からは過大な活躍を期待され、自分自身でも更に強くなる事だけを考えていた。1年生の頃から全日本学生に出場する事ができ、早慶戦でも優秀選手としてチームの勝利に貢献することが出来たので、1年生としては良いスタートが切れたと思っていた。
しかしそこには、まだ幼かった自分には気付けない「驕り・慢心」も存在していた…。
先輩方にも、性格や精神面で心配されることが多くなって来ていたが、当時の僕には何故そう思われているのか見当が付かず、更には反抗心までもが存在し始めていた。
しかしその勘違い野郎に救いの手を差し伸べてくれたのは、同期であった。僕の為だけに時間を割き真面目な話し合いの場を設けてくれた。その中でも年齢が2つ上の白岩は、当時のダメな自分に懇懇と説教をしてくれた。
その話し合いの場を設けてもらえなければ、今でも恐らくダメ人間で終わっていただろう。その叱咤激励により人間的にも非常に成長することができ、更に学年ミーティングの機会で不信感があったメンバー内で絆が深まったと感じている。
まだまだ精神的に未熟な男だが、立ち直る切っ掛けを作ってくれた皆には本当に感謝している。
それからは少しずつ先輩後輩から人が変わったと言われるようになり、3年の終盤には副将というチーム内で大事な役職に任命して貰えた。
ところで、副将というポジションは下級生から見ると主将がいない時の仕切る人、率先して盛り上げる人と思っている人も多いかもしれない。あながち間違いではないし僕自身もそういう風に思っていた。
しかしこの職に実際に就いてみると、陰の働きが必要な事に気付かされた。直接的な指示は出さなくても、どの様にすれば部内に良い雰囲気を作り出せるだろう。練習に対して皆が意欲的になるであろう等、ほぼ毎日このような事ばかり考えながら生活をしていた。
集団行動においてはこれらの明確な答えは無く、非常に地道な作業で簡単な事では無いのだが、色々と模索し思い悩む時期もあった。ただ、最近は皆の力で練習の雰囲気もかなり改善され、全体的なレベルアップも確実にしていると思う。
まだまだ細かい課題はたくさんあると思うが、我々4年生はあと数日で引退してしまう。もっと後輩に教えれる事もあったであろうし、まだこのチームで戦い切磋琢磨をしたかったなとも感じる。しかしながら、それはもう叶わないのである。

有り難いことに、僕は柔道人生にまだ幕を閉じなくて済む道を授かった。正直、当初は柔道を引退するつもりでいたが、就活の時期が進んでもまだ続けたい気持ちとまだやれる気持ちが心の中で収まってはくれなかった。
この数年は前記した通りに慢心と驕りで気持ちばかりが先走り、自身をレベルアップする練習が出来ていない事にも気が付かなかった。
当然目標であった全国制覇には全く手が届かず、結果を出せない事に勝手に苛立ってもいた。
その為引退をほぼ決意していたのだが、ある企業の監督が実績を残せていない僕に手を差し伸べてくれた。見る人からすれば、なんで?と思う人もいるであろう。
確かに自分でも驚くような実業団からチャンスが再度降ってきたのである。
ここはせっかく自分なんかに与えて貰えたセカンドチャンスなのだから、男として精神的にも肉体的にも一からやり直す気持ちで必死に喰らい付き、必ずや今度こそ全国制覇を成し遂げたいと思っている。

これから後輩達は新しい体制での練習が始まる。代も替わり様々な困難があるとは思うが、新4年生が主体となって様々な場面を乗り越えて行って欲しい。そして今年成し得なかった早慶戦での勝利を、必ずや成就して欲しいと心から願っている。

最後に慶應義塾で柔道が出来た事は親や先生、OBの先輩方がいてこそのものである。慶應義塾で仲間が出来、一緒に練習をして試合に出られた事、また早慶戦という伝統的で特別な試合に携われた事を誇りに感じ感謝の心で一杯である。
慣れた環境の中でただ淡々と流れていく毎日ではあるが、後輩の皆も、当たり前の日常は自分だけの力ではなく周りの色々な方々が応援し支えてくれているからこそ成り立っている事を念頭に入れ、常に周りに感謝しながら過ごしていって欲しいと思う。

以上、これで僕の4年間続けてきた慶應義塾體育會柔道部の部員日誌を終わりとさせて頂きます。
長い期間、拙文にお付き合い頂きありがとうございました。