こんばんは、3年の中沢です。

 

今週末の東京学生個人では、初となる100kg超級でのエントリーとなります。正直なところ不安でいっぱいですが、何としてでもやってやろうという気持ちでいます。

 

 

最近、ふと何のために柔道をしているのかと考えるときがあります。もちろん、前から大学まで柔道を続けると決めていましたし、今続けていることに後悔は全くありません。しかしながら、ここまで自分の思うような結果が残せていないということが事実であります。

 

私は、体育会や運動部といったものは結果が重要であると感じていました。もちろん、その所属する団体で運営する側やそれぞれ与えられた職務を全うして充実したものとする人もいるでしょう。しかし、結局のところ振り返ったときに試合に出場したかった、勝ちたかったと悔しさがこみ上げてくること間違いないのです。全日本学生に出場すること、団体戦に選ばれて活躍すること、早慶戦に出場することなどそれぞれが自分自身で定めた目標というものがあります。もちろん、全員がそれを達成することは困難なことです。

 

私自身、小学1年から柔道を始めてはや15年が経とうとしています。そのなかで、小中高、そして大学1年、2年といくつもの悔しい思いをしてきました。そのおかげで今の自分がいますし、こうして前向きに柔道に取り組めているのだと感じています。

 

つまりは、目標から目を背けて与えられた仕事を十分にこなしてこの體育會柔道部で満足した4年間が送れましたなんていうことは絶対にあり得ないことなのです。

 

試合に出て勝つこと、結果を残すこと、そして目標を達成すること。これが體育會の本文だと私は思っています。そのプロセスのなかで運営する側として職務を全うした、与えられた係で部のために何ができるのかを必死に考えた。これらが結果として充実した4年間となった。これでいいのではないでしょうか?

 

 

少なくとも、私は今は東京学生個人で結果を残し、全日本学生の切符を手にすること、そのために柔道をしています。口だけにならぬよう、前向きに精進して参ります。

 

なんだか、堅苦しい文章になってしまいましたね。

それと菅原先輩の部員日誌と真逆のことを書いてしまったような気がしてきました。ごめんなさい。

 

それでは、失礼します。