メキシコ合衆国は北米大陸の南端に位置し、その面積は日本の約5倍、人口1億強、本年4月日本との間で経済連携協定(内容的には自由貿易協定で2国間ではシンガポールに次いで2番目であるが実質的には1番目の相手国)が発効し、両国間の経済関係が益々強化されるのではと期待されている国です。明治の日本政府が直面していた不平等条約の改訂問題で、真っ先に平等条約に賛成してくれた国として記録されていますが、言わばそれ以来の友好国と言えます。
しかし日本との関係において他のラテンアメリカ諸国と一寸異なる事情が1点あります。それは日墨間で政策としての移住契約がなかったと言うことです。メキシコでは一般的に榎本移民と呼ばれている対南北アメリカで一番早い移住が実施されましたが、これは当時の榎本武揚外務大臣が関係したものの、実際は私的な契約であったと言われています。この移住は結果的に失敗であり、それが其の後の政策移住を阻止する原因になったのではと思っています。従い長期に亘る友好関係があるにも拘わらず当地在住邦人の数は歴史的に少なく、今日に至っても日系三世まで含めても全国で1万5千人程と言われています。
ラテンアメリカ諸国のなかで日本から最も近く、又経済関係においても相互に重要なパートナーと認識している間柄である。しかしながらさて文化・スポーツの面ではどうかと言うと、例えば華道、茶道、日本舞踊、剣道、合気道、空手などはメキシコの人達にとって特に目新しいものではないくらい紹介されてはいるものの、その交流は著しく表面的なもので終っていると言わざるを得ません。それは若しかすると在住邦人の数の少なさが関係しているかも知れません。
柔道に関しても上記諸道と同様現在盛んな状態とは言えず、メキシコ柔道協会所属の32道場で修行している人の数は約2,500人程度と推測されています。当然世界の中で低レベルに甘んじていて、アテネオリンピックには正に参加しただけ、パンアメリカン大会で辛うじてメダルに届く程度の位置と御理解頂ければよろしいかと思います。メキシコ柔道協会はメキシコオリンピック委員会の下部組織として認知されていて、若干の予算がついている関上、年3回全国規模の大会を開催していますが、平均1、500人程参加するお祭りのようなものとお考え下さい。
上記32道場の殆どは国立系大学のなかに設置されていますがいわゆる体育会柔道部と言うものではなく、小学生から社会人まで広く一般に開放されているものです。各道場には勿論指導者らしき先生方がおられる様ですが2名を除き全てメキシコ人です。1950年代講道館より一戸先生が数回来られたことがあるとか、吉松先生がブラジル訪問の帰途立ち寄られたことがあるとか、話は残っていますが両先生とも短期間乍柔道の普及に努められたことが想像されます。
1964年メキシコ政府の要請に応じて講道館が派遣した明治大先輩の山口先生は派遣期間終了後も当地に残られ本格的指導を続けられ、又同時期、法政大先輩の牧先生が国立農大や陸軍省などの師範として活躍されていたこともあって1965年より約20年間本格的ブームと呼べる状況は確かにあったと思います。其の後の衰退の原因がどこにあるか更に考えてみる必要はあるもののよき指導者不在の他には、元来当地国技と呼べる競技は勿論サッカーであり又貧富の差の大きい社会構造上スポーツといえどもハングリー精神がぶつかって行く対象は金になる競技であるというようなことが関係しているかも知れません。
今日、当地の日本人指導者は天理大先輩の為田先生と明治大先輩のホルへ伊藤先生のお二人のみです。為田先生はメキシコ市東方120キロにあるプエブラ市のラスアメリカス大学で指導されておられますが、本職は同大学の日本語教授です。
伊藤先生は戦前活躍された外交官の長男としてメキシコで生まれた日系二世ですが、戦前の明治大を卒業されが戦争で故国メキシコに帰国適わず旧帝国陸軍に召集され、通信傍受を担当された経験を有する方です。戦後直ちに帰墨され実業家として仕事をされる傍ら青少年を集め柔道教室を開かれ80歳になられた現在も矍鑠として後進の指導を続けられておられる方です。同氏の道場はかってビルの中の一室にマットを敷いただけのもので、又すぐに家主から追い出されるため場所を転々とせざるを得ないといった状況にありましたが、20年程前に先生や古くからのお弟子さん達が資金を出し合い共同保有の道場を作り上げ、今も変わらず運営されています。 武士道と名の付いたこの道場には小学生から社会人また高齢者が参加して練習していますが、練習日は日曜日のみ、元々商業的な考えの全くない教室ですから月謝なし、小額の維持費のみで運営されています。指導方針は昔から礼を重んじるものでまた無理のない柔道を目指しているようで、古き良き時代の日本を見る感じがします。なお同道場には当地日本大使館に出向勤務されている愛知県警の遠藤警部補が、やはり日曜日のみながら主に日本人駐在員の子弟を集め柔道教室を開いておられます。
一般的に他の道場はメキシコ人指導者の下でややもすれば勝ちに拘る強引な柔道が主流となっていると聞いていますが、例えば型の指導の出来ぬ先生もおられるようで段位認証権を有するメキシコ柔道協会の幹部の中に問題意識がでてきているようです。素直な柔道、礼重視、型の指導についても地道な努力を続けてきた伊藤先生の武士道道場がメキシコ内で見直されるときが来ているように思えるし、更に日本文化の発信基地として一つの典型であるようにも思います。