文化というものは不思議なもので、人の親しい交わりや、民族の争いも、いずれも文化の差異が、良くまたは悪く作用することに起因すると言えるでしょう。このように文化は人々のあり方の根幹を成すものですが、海の様に広く取りとめの無いのもこれまた文化です。この文化交流を運営する仕事に昨年の9月より従事することになりまして、この4月1日よりパリ日本文化会館の館長を拝命しました。いまから40年ほど前、塾の4年生になり二年ほど休学して初めてフランスの地を踏んだ1963年を起点とすれば、四回目のフランス滞在となります。
経済大国日本も文化発信をしなければ一流国にあらずと、、、偉そうなことを言う積もりではありませんが、しかし掛かる発想に基づき1982年に、時の日仏両国首脳間でかかる文化施設建設の意図が生まれました。(日本は鈴木善幸首相、仏はミッテラン大統領の時代でした)しかし、実現には15年の月日を費やし1997年5月に開館し今年で8年目に入るまだ若い組織です。わが国の官民が合同で総額約80億円を拠出し、エッフェル塔のすぐ側のセーヌ川沿いに仏政府より提供された土地に建設し、総面積7,500平方メートル総ガラス張りの威容を誇る施設です。初代館長はご存知、元NHKの磯村尚徳さんで元商社マンの私が図らずも二代目を仰せつかった次第です。
多目的ホール二つ、展示場、図書館、茶室、レセプションホール等を備え、舞台芸術、各種の展示、講演会、映画シリーズ等々年間を通じて多彩な催しを行っています。日本の伝統的側面と現代の部分との調和を保つことも大事な配慮です。この5月よりは歌川広重の版画江戸百景を展示しており、大変な人気を博しております。文化の都パリには外国の文化施設なるものが多数ありますが、一国の経営する施設としてはこの日本文化会館が最も入場者数が多いのが実態です。また、日本文化に造詣の深いシラク大統領からも格別の関心を示していただいております。
さて、19世紀の終わりごろから、いわゆるジャポニスムとして上述の如き浮世絵、版画等がフランスの芸術家に及ぼした事実は、日仏の文化交流のはしりとして良く知られるところですが、戦後の日仏文化交流の発端はなんと言っても柔道と断言できます。いまや元祖の日本より柔道人口の多いと言われるフランスにおいては、柔道は戦後急速に大衆化し、最も成功したスポーツでして、フランスは既に柔道を同国の伝統的競技であるともみなしている位です。
1963年初めてフランスに参りました時も、既にあちこちの町に柔道場が存在していたことに驚嘆したことを思い出します。と同時にフランスで斯様に柔道が普及した影には、フランス柔道勃興期にフランス人柔道家に指導を努めておられた日本の先人達のご苦労があったわけです。即座に思いをはせるだけでも、今でもパリにてご健在の80歳になられた粟津先生、塾柔友会関係者では福田先輩、亡くなった林先輩、他校では明治大学の主将で釣り込み腰の名人であった深見さん、故人となられた同じく明治の大国さん、そして早稲田のレギュラーであった安本さんの方々のお名前が浮かんできます。
パリ日本文化会館にても近い将来、柔道関係の催しを行うことが、私の新館長としての抱負のひとつです。またその際はまた皆様にご報告します。
なお、末尾になりましたが、このたび柔友会パリ支部長の任も担えとの植村剛太郎専務理事のご要請をお受け致しました。何かお役に立てば幸甚に存じます次第にて、何卒よろしくお願い申し上げます。柔友会の皆様のご健勝とご多幸をお祈りします。
パリ日本文化会館 館長 中川正輝