引退すると柔道から一気に離れ、ほぼ毎日、日吉道場で過ごしていたのが夢のようです。
4年前に大学受験を終えた時、他に胸を張れるものがないように感じて、そんな自分を変えたいと思い、高校時代の塾の先輩が早稲田大学でレスリング部のトレーナーをしていたことが最初のきっかけとなり、私もスタッフの募集がある部活を探しました。コロナ禍で対面の新歓がなかった中、柔道部の部員日誌が目に止まり、入部に繋がったのでした。高校まで柔道とは無縁だったのに、色々な偶然が重なり柔道部に巡り合うことができ、こういうものを「ご縁」と言うのだなと実感します。戦績に全く貢献しない私を柔道部は温かく受けて入れていただき、本当に感謝しきれません。
下級生のころは、先輩や同期に甘えながらのびのびと活動させていただきました。柔道をする部員を見るのがとても好きで、相手のバランスを崩して重心が移ったところで投げるのが柔道の肝だと朝飛先生に習い、稽古中に部員達がどこで「崩し」をしているのか観察しました。寝技はどういう仕組みで相手を押さえ込められるのか最後までよくわかりませんでしたが、各部員の得意技を知ったり、同年代の強豪選手を知って大会で観戦したりできるくらいにはなりました。部番号1という、義塾史上の重要性。そして早慶戦の熱気。週末にはOBの先輩方が練習に来てくださり、留学生も多く…。塾柔道部を知れば知るほど、私はその魅力に吸い込まれました。
主務として活動した最後の一年は、活動結果の責任の全てが自分に降りかかってくるようで、試行錯誤の日でした。主務に求められることは、期日を守ることや過不足のない報連相など、誰にでもできるけれど、完璧にするのが難しいものばかりでした。私自身沢山の反省があり、早慶戦が終わっても後ろ髪を引かれる想いで引退しました。そんな中で年初に寒稽古に参加したところ、後輩たちが行事を運営している様子を見て、元気を貰いました。先代より受け継いだ襷は無事渡せたのではないかと、ようやく肩の力を抜くことができました。
4年の間に色々なステージがありましたが、競技主体者でないのに、部と部員が好きで、特に直接的な見返りも求めず活動してきた点で、私は一貫して「塾柔道部のファン」だったと思います。そしてそれはこれからも変わりません。入社後は長崎に赴任することが決まったのでしばらくは九州三田柔友会に参加したり、現役やOBの試合を観たりできればと考えています。以前のように毎日部活をせずとも、「あの人は今どうしているのかな」などと頭の片隅にいつも柔道部があるので特に離れている気もしません。4年前は想像できなかった程の豊かさを人生に与えてくれた塾柔道部に今一度お礼申し上げます。そして、その環境をつくってくださった関係者の皆様、本当にありがとうございます。
柔道部の更なる発展を祈念して、筆を置かせていただきます。