大学の4年間はあっという間で昨日入学したかのように思います。私たちの代は、コロナウイルスに学生生活を奪われ、丸1年柔道が満足に出来ない時期もありました。しかしながら、悔いのない塾柔道部での4年間になったと思います。

思い返せば、この22年間様々な出会いがありました。なんと言っても柔道に出会えたことです。

私は、小学1年生の頃、母親に近所の道場に連れて行かれたのがきっかけでした。なぜ柔道だったのか。それは、小1にしては体が大きく、そして活発的だったこと、また受け身を覚えて交通事故に遭っても怪我を最小限に防げるようにとの理由だったそうです。しかし、この道場は受け身から入ると思いきや、大外刈りの打ち込みから始まったのです。今でも年賀状で連絡を取り合う恩師に問いたいです。なぜ大外刈りだったのですかと。そして、2ヶ月も経たないうちに試合に出したのはなぜですかと。今思えば不思議なことが多いですが、早いうちから投げることの楽しさや、戦うことの厳しさや楽しさを恩師なりの行動で示してくれたのだと思います。

そんなこんなで、柔道の魅力にどっぷりハマっていきました。そして、小学2年生でライバルに出会います。彼は、軽量級ながら大きい選手を背負い投げや一本背負いで投げ飛ばす強豪でした。小2でそんな技できる?と思うような強さで、初めて戦った時は秒殺されました。当時、体も大きく力も強かったため、そう簡単に負けたことがありませんでした。だから、負けたこと投げられたことが悔しく、ずっと泣いていたことを鮮明に覚えています。この経験が、人生で最初の挫折だったのではないかと思います。それから、練習が無い日には母に道着を着てもらい、リビングで打ち込みをしたり、布団を敷いて投げ込みをしたり、母に自転車で伴走してもらってランニングしたりと、ライバルに勝つために頑張っていました。土日には、柔道未経験の父と乱取りをしたり、井上康生先生の動画やありとあらゆる試合の動画を見て研究したりしていました。時には、辛い時もありましたが、家族一丸となって応援してくれたことが本当に恵まれているなと思います。今思えば本当に懐かしく思います。そして、小3の母の日、ついにライバルにリベンジする機会がありました。個人戦決勝。有効2つを取って勝ったのです。今でも覚えています。母に金メダルをかけてあげたこと、今まで幾度となく敗れてきたライバルに勝てたこと。一生懸命やってきてよかったなと。それから、彼とは転校するまで何度も対戦しました。こうしたライバルに出会えたこと、何より柔道に出会えたことが今の私にとって欠かせない分岐点だと思います。長くなりましたが、これが柔道との「出会い」です。

その後も、本当に多くの出会いがありました。杉村とは、小学生低学年で何かの合同練習で練習しており、中3の慶應杯では戦ってもいます。同期に出会えたこと。これもまた大きな分岐点だと思います。まず、佑眞。高1では4人でスタートしたのに、今では自分と佑眞二人だけ。そんな佑眞と高校同期として一緒に大学で稽古できること切磋琢磨できること、本人の前では言えませんが、本当に心強いです。高校の戸狩合宿、荏原の年越し合宿、日吉監獄を共に耐えてきたからこそ、心底思います。一緒に会堂の上でトレーニングしたこと、数3の授業でお互い寝ていたこと、家庭科の授業で先生のことを激写していたことなど、いろんなことが蘇ります。依田、ピーダーと一人一人との出会いを記していきたいところですが、長くなりそうなので、割愛させていただきます。

まだまだたくさんの出会いがありました。小中の恩師、高校の恩師、それぞれの同期や先輩、そして友達。 

私は、本当に人に恵まれて生きてきたなと思います。素敵な人たちに出会えたからこそ、今の自分があります。一期一会という言葉の通り、一生に一度の出会い、みんなに出会うことができて幸せです。そんな今まで支えてきてくれた全ての人に社会人でも何らかの形で恩返ししたいと思います。

最後になりますが、「柔道」に出会えたこと、そして「慶應義塾體育會柔道部」に出会えたこと、「同期」に出会えたこと、「心強い先輩方」に出会えたこと、「かわいい後輩ちゃんたち」に出会えたこと、全てが私にとって大きな財産であり、宝物です。7年間本当にお世話になりました。そして、ありがとうございました。

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