hadorisyugo去る5月28日にもう80歳を越える年齢におなりになる水谷英男先輩S22が我々後輩のよく知らない伝説的な各時代の先輩方々の御話を聞いて、後世の人達にこれを伝承していくのも有意義な事とお考えになって、御年90を越えてなおお元気な羽鳥忠久大先輩S13のご都合をお聞きになられてそれにあわせて有志を参集して、昔のお話を聞く会を開かれました。
慶應柔道部が如何に長き歴史を有しているかの証明のようなものですので、お話を録音し、そのテープから文章を起こし、一部抜粋してホームページに掲載することにしました。
出席者は私を除いて還暦を越えた方々ばかりでしたが、皆さんお元気で羽鳥大先輩の語る興味深い大昔の柔道部の話に聞き入っていました。
 いまなおしっかりとした記憶力で古き柔道部のありようが蘇る楽しいお話を長時間にわたって聞くことができました。羽鳥先輩のお話の一部を掲載いたします。詳しくは下記アドレスでご覧下さい。

「私は昭和十三年に卒業しましてすぐに東京を離れてしまって九州に行きました。間もなく召集にあってずっと転々としていて東京にいなくて…。だから卒業後、綱町の道場へはほとんど行なかったです。そういう機会がなかった。卒業してすぐに九州に行っちゃって、間もなく、満州に行け、南方に行けと言われて…。随分と柔道が好きだった。好きだったし、とにかく十年間お世話になりました。寒稽古は十回皆勤しましたね。それで我々が一番覚えているのは、五島三雄さんという方がいたんですよね。古い方で、僕が中学の頃、五藤さんだとか桐山勝治さんとか。
 とにかく最初から申しますと、阿部英児さん、大六さん,秀助さん、それから菅原さんという方がいて、もう神様みたいでしたね。そういう方が柔道に来る時は,前もって分かっていて皆キチンとして、うやうやしくお招きした覚えがあります。めったに来られなくて、英児さん、大六さん、秀助さんなんかが来ると、稽古をつけていただきたいような、神々しくて…。もう、かけ離れていましたものね。そういう時代でした。
 先生は飯塚先生と中野先生です。飯塚先生はその頃、日本で三人ですよね。三船、山下、飯塚の三巨頭でした。講道館の三巨頭でして、その時分、大学でそんな偉い先生が来ているところは慶應だけだったんですね……」

<写真>
http://www.mitajuyukai.gr.jp/files/hadori/hadori1.html
<お話>
http://www.mitajuyukai.gr.jp/files/hadori/hadori2.html

羽鳥大先輩からお話を聞く会